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秘書2
過去の23年間と、今継続している13年目の関連づけを問われているようです。

過去の23年間を振り返ると、今と随分時代が違うので
こんな時代を分かっていただけるかどうか分かりません。

ただ、恵まれた、とても華やかだった時代だと思います。
ざっと振り返り、関連づけてみましょう。

私が22歳で就職した年は、第二次オイルショックの直後の就職難で
4年生女子の求人は最悪でした。
そんな中で、就職できたのは、母校の教授で東大卒、
その時代に経営学者として一世を風靡なさっていたN先生の秘書としてでした。

赤坂の近く、国会議事堂、最高裁判所、ホテルニューオータニなどに近く
プールがあるフロアーを貸し切った、ビルの最上階をオフィスをしていました。

N先生は、官庁や企業相手に経済・経営の分析や提言を行うシンクタンクを創り、
理事長も兼務なさって、その時代の経営者の方々に大きな影響を与えていらっしゃいました。
雑誌財界やプレジデントなどによく載っていた方です。
ニュービジネス協議会を作り、その後、宮城大学長、多摩大学学長などなさっています。

ここには、パソナの創業者、ワコールの創業者、ユニチャームの創業者などが
まだ30歳、40歳の若さで通ってきていらっしゃいました。

と、書き始めると、ボスの大きさばかりになってしまいます。

その後、英語を基礎言語とするアメリカ大使館の隣にある世界一の化学会社で
アメリカの仕事の仕方を知り

次に、丸の内で9年間、今はキリンと合併した某発酵会社の関連会社社長で
その発酵会社の創業者の義弟である方の社長秘書でした。

三重県人会会長をなさるその方は、大企業の人事権や選挙に大きな力を持っていらっしゃって
多くの政治家や角界、芸能界の方々もお越しになりました。

ジャスコの会長だった現民主党岡田幹事長のお父様や管元首相、参議院議長などが
まだ27歳だった私に、電話でアポが入るところから始まることが多いのでした。

「山田です」とか 「島崎です」

って言われたら、何て答えますか?

「失礼ですが、どちらの山田様ですか?」

「世田谷の山田です。」

これじゃあさっぱり、どこの誰で何の目的の電話か分かりません。

しかも、その社長は、

「・・君は、何をしにくるんだ?」って私に聞かれます。


そんなこと、私にわかりませんよね。


しかし、それが私の仕事でした。

その方は何をしにお越しになって、その後、どの部署の担当役員などにあい
どんな資料が必要で、社長車の手配やお土産の手配が必要かなどを
事前に予測して手配するなどの準備をするのです。

かつ、私は、社長を守らなくてはなりませんでした。
やくざだって来たことが有るのです。

相手がアメリカ大統領だってひるまない、と覚悟を決めたのがこの時期でした。

この時期、私は子供たちの幼児教育に燃えていたので
実は、心はそっちにかなり行っていました。

社長の周囲って、企業の中で特別な空間になります。
簡単に誰もが近づきませんが、お越しになる方が大きいので
どう対応するかが重要です。

多くの場合、私は隣室の社長が何を考えていらっしゃるかを必至で考えました。

今考えれば、社長にはとても多くの情報が集まるので、私なんかが推測できるはずはないのです。

しかし、それを考え続けて、対策を打っていました。

外資系企業の秘書は、とてもビジネスライクにばしばし仕事をこなします。
担当部署の秘書の方々もそうだと思います。

日本企業の社長秘書の場合は、主な業務が役員に割り当てられているので
その潤滑油的な役割になると思います。

ですから、私が相談出来るのは、社長車の運転手さんや役員の方々でした。

その後、製薬会社で社長秘書、会長秘書、名誉会長秘書が9年間です。

もうここまでやったら、秘書は十分だと思いますよね。
そして、私がずっと思っていたのは、私が大きいわけでも偉いのでもなく
その傍にいるだけなのだということでした。

糖の分野を扱う製薬会社では、糖質科学の研究助成も行っていましたから
世界中の研究者の方々からの申し込みや問い合わせがあり
その理事や評議員には、ノーベル賞受賞者野依良治教授などもいらっしゃいました。
それらは、ひたすら、上司のお人柄や功績による人脈の広さによるものでした。

日本学術会議会長などを務めた江上不二男博士の義弟や三菱化学生命科学研究所を
創業なさった方が私の上司でした。

事務局長さんは、そうそうたる方々の功績に圧倒され気味でした。
私は、傍で、研究内容はよくわからなくても、さわやかにそれなりに対応することが求められました。

そして、私がきものの仕事をはじめようと思ったとき
私自身の力では無いそんな世界を引きずっていたら、新しい仕事は出来ないと思って
意識的に過去から遠ざかりました。
今は、時々みなさんにお会いしますが、退職なさった方が多く
次の代に代わっていますね。

こう23年間の秘書を振り返ってみて、今一番生かせているのは何なのでしょうか?

もしかしたら、そのポジションにおける品位をきものにするということなのかもしれません。

きもの人には、働いているお客様が多く、社会的な役割をお持ちです。

その役割にふさわしいきものが何なのかを個性に合わせて見つけるということかもしれませんね。

これで関連づけられたでしょうか?(苦笑)

その他 | 05:57:05 | Trackback(0) | Comments(0)
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まとめ

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